Fate / hollow ataraxia 〜虚無は存在するのか〜

前作「Fate / stay night」のFDとなる本作品。
気軽に楽しめればと思いプレイを始めたのだが、私の考えは裏切られた。
「FD」などではなく、「続編」と呼称するのが最も適当であろう。
本作品は内容がとにかく深い。
そのため、全体的に内容を把握する事は困難である。
これは私的視点から覗かせてもらった「hollow」の世界を批評させていただくとする。

本作は、主人公 衛宮士郎(アンリマユ)自身の願った”囚われた日常”という概念を
創造するものである。(ここはアンリマユが憑くというより、衛宮四郎の一部であると表現する)
この舞台を”何も生み出されはしない無の時間”と表現されているが、
果たして本当にそうなのであろうか。
アンリマユのパートナーであるバゼットは”何かを生み出そうとする現実”を否定し、
”何も生まれないが変わることのない日常”に閉じこもる。
しかし、アンリマユの「虚無に戻るだけだ」という発言と現実に戻るバゼットからして、
虚無の中から二人に何かが生まれ出たと推測できる。
この世に虚無は存在しない。そして、これは虚無である。
「虚無」の否定であり肯定である、この矛盾が故にシナリオを複雑にさせている。
密かに思いを寄せていた言峰に襲撃される現実からあって、脆弱であるバゼットは、
パートナーであるアンリマユの価値観と世界に適応すべく、何かが生まれる現実を否定したのだ。
いや、否定しなければいけなかったというべきだろうか。
しかし、その思考など模造に等しく何かを求められずにはいられない”人”であるがため、
屈して虚無世界を崩壊させてしまったのだろう。

そしてもう一人、カレンという共感体質であるヒロインが存在する。
このカレンは、衛宮四郎との大きな共通点がある。
衛宮四郎は他人を助ける事で、自分の存在意義を見い出す。
強制的とはいえ、カレンも周囲に干渉し、自身を犠牲にしてそれを救う。
どちらも自身に対する欲求が欠けているため、限りなく歪である。

本作は、”二次元”と”三次元”の隔てを表現している作品でもある。
二次元=何も生まれない 三次元=何かが生まれる という事になる。
しかし、上記でも述べているように二次元は否定であり肯定である。
私は、そこに何かが生まれると信じたい。
何故ならば、テレビゲームやアニメが存在する事により、
良くも悪くも三次元に大きく影響しているからだ。
二次元内には作者がカテゴライズした選択肢に限られてしまうが、
それが存在する事になり三次元に何かが生まれているという事実も否定はできない。

簡潔に一言で述べると、”虚無は存在しない”のではないだろうか。
例え虚無が存在したとしても、それ自身が虚無だからこそ他で何かが生まれるのなら、
それは虚無ではないのだ。
私はそう思って止まない。

関連リンク
・Fate hollow ataraxia 公式サイト